科学

真の「科学」とは?―好奇心はわがままなのか?

宇宙とは?となると宗教的考察に説得力があります。それは、唯一信仰を持つ生き物が人間だからです。
歴史を流れる過程で極めて思考的な事柄ですから、地域などでそれぞれ洗練されました。
それが今日の宗教、宗派と考えて差し支えないと思います。

物理学は科学です。科学も「哲学」の一分野でした、とくに科学は「社会科学」や「自然科学」などに細分され、
さらに、「ユークリッド数学」、「トッポロジー数学」、「錬金術」、「占星術」などを経て、現在の科学分野、学問に至っています。
科学は、その目的は「真」、これのみです。そうすれば「哲学」に帰着します。
近代科学、特に「自然科学」の分野には、恣意的に「信仰」を排除せねば前進できませんでした。
一方、「信仰」は人類固有の思考です。
ここまでで、「4つの力」の統一を目指す物理学者の思いを語りましたが、
真にユビキタス(あまねく全て)を知りたいという好奇心が、人類にあるなら、
「信仰(畏れ)」、「自然」、「哲学」を統一した、説得力確かな考えを知りたいものです。
可能であれば教えられて(説かれて)知るのではなく、自覚したいと切に思います。

ここの目的は物理学の勉強ではありません。この数ページでは解説不可能です。
プランク定数やこれを元にディラック定数の説明も加えれば「スピン」の説明も可能でしょうが、
ここでは、「知らないことの整理」が目的でした。

科学

「科学」と一口に言えれば問題ないのですが、真に「科学」を考えたとき、例えば、「電子工学(エレクトロニクス)」や、
「情報工学(コンピュータ・サイエンス)」など、人類に貢献する生産性が重んじられていると考えます。古くはない、
日本の物理学者「寺田寅彦博士」や国学者「柳田国男先生」、文豪「夏目漱石」が言わんとする科学は、
残念ながら「生産活動」の思考的分担としか考えられていらっしゃらなかったようです。
つまり、人の営みに「効率の追求」を施す学問が科学であったようです。

この考えは、現代に至ってもほぼ変わりません。
素材科学を追求することにより、より集積できる半導体プロセッサーが実現しているし、
「祟り」のようなエネルギー確保の問題もこの類(たぐい)の研究から得られています。
つまり、科学に対する意欲の根源は、人間の数少ない本能である「好奇心」であった時代ではなく、
「生産性の追求」、「利便性の追求」にシフトしているように思えます。
「物理学」のなかでも、「電磁理論」につていは、生産性につながっていますが、宇宙を探る、知りたい。
つまり純粋な「好奇心」のみが動機としての科学は廃れそうです。

現代では、物理学の探求を進めるにには、非常にお金がかかります。例えば、この研究に必要な実験装置である。
「加速器」や、検出装置である「スーパーカミオカンデ」などは裕福な国しか用意できません。
しかも、フィードバックは極めて小さい学問です。
好奇心はわがままでしょうか。